山万が「ユーカリが丘」を選んだ理由
山万は、1951年に総合繊維卸売業として大阪で設立した後、宅地開発事業を始めることになりました。
1965年、最初に手がけたのが神奈川県・横須賀の「湘南ハイランド」。建売住宅と共にスーパーやゴルフの打ちっぱなし場など、そこに住むだけでさまざまなことが楽しめる画期的な分譲地を作りました。
次に開発を進めたのが、千葉県のユーカリが丘です。
日本全国の中でユーカリが丘を開発地に選んだ理由は3つ。
1つ目は、アクセスのいい立地だったことです。1970年代当時、成田空港が開港されるというタイミングでした。東京と成田空港の中間点であるユーカリが丘は、東京へ行く人のベッドタウンと国際化を意識する人にとっても利便性の高い立地だと考えました。
2つ目は、田畑の広がる自然と住居などの都市機能がちょうど融合された景観だったことです。
3つ目は、地震や津波・水害などのリスクが少ないという点です。
生活基盤を築ける立地と自然環境の調和がとれていて、安心して長く暮らせる土地として最適だったのがユーカリが丘でした。
「住む人の幸せ」を願う、山万の街づくり
山万が大切にしているのは「人」です。
「子どもが独立したので一戸建てからマンションに住み替えようと思う」という住まいに関する相談はもちろん、「公園にこんな遊具を作ってほしい」という要望などを集約した結果、より暮らしやすい街へと発展していきました。
住宅を引き渡した後も訪問させていただき、長いお付き合いをしているので、東日本大震災のときは、高齢で独居にお住まいの「お客様の顔が浮かぶ」、そんな距離感です。すぐに安否確認をおこなった当時のことは、10年経った今でも「あの時は本当に心強かった」と感謝されます。
山万は、ユーカリが丘に住む一人ひとりの幸せを山万の全社員が願っています。これからも住む人の声を大切にしながら街づくりの発展に注力していきます。
「ずっと住む街」を創る、山万の挑戦
1979年の分譲開始以来、「いつまでも住み続けられる街とは?」というテーマを達成するために、毎年200戸(平均)を販売するという方針を継続し続けている点も大きな特徴です。
人が住む街として理想としているのは、いつの時代も、いろいろな世帯の人が住んでいることです。公園で笑い合う子どもたち、大型商業施設に集まる若者世代、緑豊かな街並みをゆっくりお散歩している老夫婦。40年以上もの間、街全体の人口バランスを変えずに、その時代にマッチした方法で、ユーカリが丘に住む人に寄り沿える街をデザインしていくのが山万です。
変わらない方針と、そこに住む人のことを考え、よりよい方法ややり方を柔軟に変えながらユーカリが丘を発展させていく・・・そんな未来予想図を今も描き続けています。